私たち公益財団法人広島YMCAは、広島YMCAの使命に基づいて「青少年の健全育成」「豊かな地域社会の形成」「平和な世界の実現」をめざしています。これらの願いを具体的に実践していくのが国際コミュニティーセンター(Global Community Center:通称GCC)です。

 主な活動としては、平和活動・平和教育、国際交流・国際支援活動、青少年ユース育成、地域・コミュニティー活動、災害復興支援活動、ファンドレイジング活動があります。YMCA運動にご賛同いただく会員のみなさまの会費によってこの活動が支えられています。 

 



新 着 情 報


2022年9月5日     ウクライナ避難者支援に関するチャリティーコンサート(とちぎYMCA)

2022年8月23日    黒瀬名誉理事長の講演とYMCA平和活動の映画会が行われました。

2022年8月25日    ウクライナ避難者に対する日本語教室を行っています。

2022年8月15日    横浜YMCAの子ども達が広島で平和キャンプを実施しました。


◆公益財団法人 広島YMCA・事業のご紹介


私たちは、広島YMCAの使命に基づいて「青少年の健全育成」「豊かな地域社会の形成」「平和な世界の実現」をめざしています。これらの願いを具体的に実践していくのが公益財団法人広島YMCA国際コミュニティーセンター(Global Community Center:GCC)です。主な活動としては、平和活動、国際交流・協力、青少年育成、地域・福祉奉仕活動があります。YMCA運動にご賛同いただく会員のみなさまの会費によってこの活動が支えられています。

 

平和活動・平和教育 

1945年8月6日 広島は原子爆弾によって廃墟の街となりました。その3ヵ月後、生き残った会員達は、「広島の復興はYMCAの復興なくしてはありえない」の信念の元、活動を再開します。翌年の1946年の11月には八丁堀の土地を借受け、焼け野原ですごす少年達を集め青少年教育活動を始めます。その活動は「直接的ではないが、少なからず戦争に加担し、多くの子ども達に苦しい、悲しい思いをさせてしまった。」という思いが会員達を突き動かしました。以来、YMCAでは平和を基軸とした青少年教育のプログラムを実施しています。 

 

地域・コミュニティー

YMCAはボランティア精神に根ざし、活動を支えるボランティアとスタッフが共に手を携えているボランティアアソシエーションです。YMCAの活動を通じてボランティア精神を学ぶことができます。多様な領域と子どもから高齢者まで幅広いボランティア層が活動しているのもYMCAのボランティア活動の特色です。イベントやYMCAのプログラムは国内外と多岐に渡ります。地域の諸団体や企業などと連携して、活動領域はさらに広がっています。広島YMCAでは、YMCA活動を通してボランティアとして活躍できる機会を提供しています。

 

 

広島YMCAでは、阪神淡路大震災以降、国内で発災する大規模災害に関して、全国のYMCAや災害復興支援を行うNGOと協力し、支援活動を展開しています。また、災害支援においても緊急の復興支援を行う時期と長期にわたって支援を行うものとフェーズを区切り支援活動を継続して行っています。この活動はYMCA運動にご賛同いただく会員のみなさまの募金や会費によって支えられています。

 

・2020熊本豪雨災害復興支援活動

・西日本豪雨災害復興支援活動

・平成28年熊本地震復興支援活動

・東日本大震災復興支援活動広島豪雨災害復興支援活動

 

 

国際交流・国際支援 

広島YMCAでは1960年のハワイホノルルYMCAのパートナーシップ締結に始まり、2015年のベトナムYMCAまで、15の海外YMCAとパートナーシップを結んでいます。定期的な交流や災害があったときなどの支援活動を続けています。

  • ハワイホノルル国際交流「Let’s Get Together」
  • ドイツハノーバー国際交流「Global Youth Friendship 」
  • フィリピンボランティアワークキャンプ(セブYMCA)
  • 日中韓平和フォーラム(日本・韓国・中国のYMCA対象) 

青少年・ユース育成 

大学生や専門学生を中心に多くの若者が、YMCAでボランティア活動をしています。ユースリーダーの主な活動は、国際交流イベントの実施やキャンプや水泳、サッカー指導、学習障がいの子ども達を指導するリーダーなどさまざまです。YMCAでは青年達が青少年や多くの人々との関わりをとおして社会参加をし、新しい社会を築いて行くことを願い、地域で活動するユースリーダーの育成を積極的に進めています。その領域も野外活動、スポーツ、障がい児支援、国際交流、福祉活動と広がり、対象理解や救急法などのトレーニングを修了したたくさんのユースリーダーが、各地のYMCAで、日々自らの可能性に挑戦しています。

 

ファンドレイジング

毎年11月から2月末にかけて、YMCAでは国際協力募金活動を行なっています。特に12月には、会員の方々や子ども達と街頭に立って、市民のみなさまに募金を呼びかけています。募金はYMCAが行う国際交流活動や海外の災害支援などにユースを派遣する活動に使われます。毎年、広島YMCAには150万~200万円の募金が寄せられています。

 

1.海外からの青少年・交流団体の受入・平和交流プログラム 

2.留学生支援

3.海外ボランティア派遣・国際交流ユース育成プログラム
4.日本YMCA同盟を通しての活動・災害支援

5.ウクライナ難民支援
 


YMCAについて


1844年ロンドンに誕生し、現在120の国と地域に広がる国際団体です。
キリスト教の「愛と奉仕」の精神に基づき、超高齢化社会、情報化社会、国際化社会に対応し、教育・文化・健康・福祉・施設・国際など幅広い分野で、幼児から高齢者までを対象にさまざまな事業や活動を行なっています。

 

広島YMCAの使命


私たちは、

イエス・キリストが示された愛と奉仕の精神をもって、豊かに生きることをめざします。そして、多くの青少年が、人や自然と出会い、異なった文化、多様な社会や価値観と出会うなかで、夢や希望、生きる力を培(つちか)うことを願います。

私たちは、

  1. すべての青少年とともに、一人ひとりの夢の実現に努めます。
  2. 共に生かされていることを、青少年やその家族と分かち合い、いのちの大切さを育みます。
  3. 国際交流を推進し、人のつながりによって平和な社会を実現します。
  4. 健康・福祉・文化の向上に努め、幅広い地域の人たちと連携します。
  5. 地球的視野に立ち、未来に向けて自然や環境を守ります。
  6. 被爆体験を継承し、全ての核兵器の廃絶をめざします。

 

YMCAのシンボルマーク


YMCA正章

YMCA正章のシンボルは「SPIRIT」、「MIND」、「BODY」の3つのキーワードを組み合わせたトライアングル。外側の円は完全なる人格を表し、「X」と「P」はギリシア語の「救い主キリスト」の頭文字を組み合わせた世界共通のマークです。また「すべての人を一つにしてください」というYMCAの標語は、新約聖書ヨハネによる福音書17章21節から引用したものです。

 


新ロゴ ポジティブY

鳥が飛び立とうとする瞬間の姿を、アルファベットのYが想起される形に重ねあわせています。右上の赤い逆三角形には、YMCA正章に記された「全人」の精神と、YMCAが約束するブランド価値「みつかる。つながる。よくなる。」の両方が込められています。曲線と赤い色によって、生命の息づかい(生命感)と、希望ある豊かな社会を実現して行こうというYMCAのポジティブな姿勢を示しています。

ブランドスローガン

ブランドスローガンは、YMCAのブランドコンセプトに込めたエッセンスを端的に伝えるメッセージです。YMCAが定めたブランドコンセプト(上記)のバリュー(価値)、「みつかる。つながる。よくなる。」の結びを、「よくなっていく。」としました。出会いとつながりから生まれる「よくなる」チカラが連鎖して、一人ひとりが、そして地域が、社会が「よくなっていく」、そのような願いをこめています。

 

History of Hiroshima YMCA


ジョージウィリアムズと 10 人のキリスト青年
ジョージウィリアムズと 10 人のキリスト青年

1844 年 6 月 6 日、ジョージ・ウィリアムズと 10 人のキリスト者青年は、彼の部屋で行われた 会合にて、最初のキリスト教青年会(YMCA)の設立を決めた。それから36年後の1880年、日本で初の東京YMCAが誕生した。創立者の小崎弘道は、“Young Men”を訳すのに苦心した結果、『青年』という言葉を造り出した。1890年にはこの広島においても,最初の基督教青年会が誕生したが、日清戦争の最中、記録の中から消えていった。蒔かれた種は半世紀を経て、ようやくその芽を出すのである。軍靴の足音が高くなった1932年、青年たちの中から再び広島YMCA設立の声が起こりはじめ、1935年11月には広島YMCAの精神的設立と言われた広島YMCA設立相談会が行われた。戦時体制の進行にともない青年が徴兵で少なくなる中、「礎石だけは残しておこう」との思いが、1938年10月25日の広島YMCA発会式となったのである。

 

1935

1935年11月25日 広島金座街・大隈洋行の3階で行われた、YMCA設立相談会。YMCA設立をめざす学生や教会員が集まり、意見交換を行い、YMCAの設立を誓い合った。精神的設立と呼ばれた。

1936

1936年9月24日 同年7月に京阪ワイズメンズクラブのメンバーから贈られたYMCA旗を持ち、会員と子ども達を連れ20名で呉婆々宇山登山を行った。この経験がその後の活動の大きな自信となった。

1936

1936年9月24日 同年7月に京阪ワイズメンズクラブのメンバーから贈られたYMCA旗を持ち、会員と子ども達を連れ20名で呉婆々宇山登山を行った。この経験がその後の活動の大きな自信となった。


1938

発会式にて行われた斎藤惣一同盟総主事講演会「基督教青年会の使命」 発会式では、下記のローマ信徒への手紙12章が拝読された。戦争に向かう日本を憂う創設者たちの複雑な思いがうかがわれる。

 

【礎(いしずえ)】

希望を持って喜び、苦難を堪え忍び、たゆまず祈りなさい。

あなたがたを迫害する者のために 祝福を祈りなさい。

祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。

できれば、せめてあなた方は、

すべての人と平和に暮らしなさい。

 

                       ローマ信徒への手紙12章14-18節

1945/8/6

原爆投下当日を克明に綴ったYMCA委員長 中尾一真の手記をご紹介。

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 廃墟となった広島の地において、YMCAの復興は早かった。1945年11月、3名の青年と3名のOBが広島YMCAの再建を決意し、講演会やクリスマス会など多彩なプログラムをスタートした。そして、1946年8月6日、「広島の復興はYMCAから」を合言葉に、広島YMCA委員長の中尾一真は生き残った会員やキリスト教徒を代表して、NHK広島放送局のマイクを通じて、全国に向けて平和宣言を行った。創立以来、会員達が常に願ってきたのは活動拠点の確保であった。1946年11月27日 八丁堀北側の国有地「偕行社跡」の借用に成功し、今日の広島YMCAの基礎ができたのであった。

 

【平和宣言】

一、我らは、戦争の惨禍の防止に対し、力弱くして、なすなかりし過去を衷心より懺悔す。

一、我らは、神は父、人はその子、お互いに兄弟也とのキリスト教の教えを再確認し、死に至るまで

  忠誠なる信仰の復興を全身全霊を持って祈願す。

一、我らは、衣食住すべて乏しく、悩み多き世の中に処し、ただ己の如く隣人を愛する兄弟愛の実践の

  み、この苦境を突破しうる、唯一の道なることを信じ、この忠実なる実行に神の助けを切望す。

一、我らは、キリストの教えに対する信仰と、その実践こそ個人を救い、郷土を興し、祖国を生かし、

  世界に平和を齎す無比の一路なることを確信し、常に言葉と行いをもって、その福音の宣伝に

  努力す。  

全日本並びに、全世界の同信の友よ、願わくば我らのために祈りたまえ。

(1946年8月6日、冒頭部は割愛)

1946

原爆で壊滅した広島YMCAであったが、1946年4月永井三郎の来広により、その再建はより具体的な方向へと進んでいった。謄写印刷や英語講習会で資金を得、講演会やクリスマスなどのプログラムを展開していった。

1946

焼け野原の広島ではあったが、学童1400名を招待した市民クリスマスなど活動は活発となった。終戦から1年の暮れ、会員はバラック建ての本通で、クリスマスキャロルを行い、暗く傷ついた市民の心に希望を灯した。

1949

1949年4月17日 被爆者の体験を「天よりの大 いなる声」として出版。賀川豊彦は「ヨハネの黙示録11章12~14節」からこの本を命名した。平和宣言とこの本の出版は、YMCAが平和の問題に取り組む基盤となった。


1949

会館建設に尽力した人物としてYMCA同盟名誉主事のダーキンの存在は忘れてはならない。当初GHQの仕事で被爆2ヶ月で来日したが、広島の惨状を目にし、復興のため土地借用に大きく貢献した。

 

1949

1949年オーストラリア軍YMCAより、コンセットハット(蒲ぼこ型兵舎)2棟の寄贈があり、それを拠点として、YMCA活動と共に会館建設のための準備が進められた。

1950

1950年 宮島山白浦でキャンプを開始。1954年には山白浦にキャンプサイトを整備。1950~1960年代は山白浦を中心とした教育キャンプを展開した。


1950

1950年11月 学生YMCA中国部会の記念写真。指導の一環で広島(宮島)を訪れたディーン・リーパー氏(前列中央)背景には1950年9月のギニア台風により破損した宮島の大鳥居の修復工事が映っている。

1951

1951年12月9日 学生YMCA主催の降誕節(現在のアドベント)の礼拝に集まった学生達。戦後6年を迎え、多くの会員や学生が夢や希望に満ち、広島YMCAに集った。翌年には新しい会館が与えられることとなる。

1952

1950年2月、ヴォーリス設計事務所から設計プランが寄せられたことで会館建設が具体化世界青年復興資金から3万ドルが寄せられ、さまぎまな困難があったが、1952年1月の起工式を経てついに7月落成となった


戦後、間もなく会員宅を拠点としてYMCA活動が再開され、子供会、引揚者援護相談所、幼稚園など幅広い活動が展開された。その後、子供会活動は青年会員河本一郎らが引き継ぎ、旭子供会を皮切りに16組の子供会が広島市内一円に広まった。この活動が基となり1956年、広島YMCAが中心になり「広島県青少年団体連絡協議会」が結成され、初代会長に総主事の奈良常五郎が就任した。子供会育成にYMCAがリーダーシップを発揮し、地域に貢献した。後の市民クリスマスやハイY活動として発展し、河本一郎は、原爆の子の像建立運動や原爆ドーム保存運動を指導していくようになる。

 

1955

1955年11月、佐々木禎子さんの死をきっかけに原爆の子の像建立の募金のために全国中学校長大会にてビラ配りを行なった。YMCAの子ども達と一緒に活動した河本一郎(広島YMCA会員)の顔も見える/後列左

1958

1958年5月5日 原爆の子の像が完成し、原爆の子の像建立後、活動を続けていた子ども達は、「折鶴おりづるの会」を結成、YMCAに事務局が置かれた。

1960

1960年8月6日折鶴の会の子ども達は、原爆症で亡くなった楮山ヒロ子さんの日記を読み、その気持ちに寄り添う形で、原爆の子の像の前でいち早く原爆ドームの保存を訴え、募金活動を行った。



公益財団法人 広島YMCA 国際コミュニティーセンター

Global Community Center

広島県広島市中区八丁堀7-11

TEL 082-228-1151 FAX 082-211-0366